neon.

広告をつくってる25歳女。ポロっと書きたくなるもんなんです。

ははとおにぎりとわたし



お母さんのおにぎりはいつも緻密だ。

それは今でも変わらない。


大量の米を手に取り、圧縮しすぎだろうというくらいギュッとしめる。

だから、いくら食べても無限に減らない魔法のおにぎり(腹持ちもすごい)


現在入院中の病院食が不味い為、おかずとおにぎりを持ってきてくれた。歳のせい?なのか、最近こんな些細な気遣いですら涙が出そうになる。


元々わりと寂しがりなこともあり、まだ、1ヵ月の入院生活が少々苦痛になってきている。

一緒に誰かが食事してくれるだけでとても嬉しいし、横で本を読んでいてくれるだけで違う。


「あんたがお母さんか。信じらんない。いつもいきなり驚く選択をして色んなもの引き連れてくるけど、あんたそれで道を外したことないんだよね。いつも間違ってない」

おかずをつつきながら、ボソッと母が呟いた。


ぼやんと褒められてちょっと嬉しくなる。いきなり専門学校に入ることや、仕事が落ち着くまでのことを言っているのだろう。

今でもベッドの上でぼちぼち仕事をしている。

仕事と言えるほどでもないけど、報酬の約束は得ている。


デザインだけでなく、文章の仕事まで取り入れ始めたのは卒業後入社した会社のおかげかもしれない。

好き、から広がるものがどんどん増えた。


文章に関してはまだまだ素人だ。


元々興味があったが一番食えない仕事だと思って避けていた。


ただそれは偏った知識で、結構需要があることに気がついた。

だから、どんどん間口を広げて、幅を増やしたい。

今書いてるブログだって手馴しみたいなものだ。気軽だし、ひとりごとを言いたいときにちょうどいい。


知り合いで、ずっと文章で食べたいと言っている人がいる。


ぐっと飲み込んで「がんばれ~。コンペとかだせば」と伝えているけどこう思う。

文章なんて、ツールに過ぎない。

大事なのは何をどう表現するかだ。

それが明確じゃないのに文で食べたいなんて。何が言いたいの?それで何がしたいの?は、文に限らず必要な思考な気がする。

絵の具握って紙を前にしても、何したらいいかわからないんじゃ白いままだもんね。


ただひたすらにライフハックや知識を貯めたところで、結局表現方法がつまらなければ意味が無い。

最近よくあるキュレーションサイトにその現象が起きている気がする。

下手なキュレーターの記事はつまらないからね。


エッセイなんかがわかりやすい。

結構みんなありふれた日常を送っているのに、その人の手にかかれば面白い育児エッセイや自虐的な日常になる。

あ、サイバラさんとか中村うさぎさんとか能町さんあたりは別格だけど。


この記事も別に誰かに当てているわけではなく、まだまだな自分と母に言われた言葉の嬉しさとこれから頑張りたいっていう意気込みなんだけど。


反面教師というか「何でもいい。秀でたものが欲しいけどわからん」って、苦笑いしかできない。


才能がある人は継続をする力があるから、その場所にいられる。

どんなに辛くても、その場にしがみついてる理由は好きで仕方ないからだ。「そんなことないよ」とか思ってても、それ以外のことを考えていないのもまた才能だと思う。


自分は凡人だ。だから正直努力具合も中途半端だ。だからこそ!と努力しまくっても続かない。

マイペースなのが、私の良いところ。やる気のある時、やればいい。


やる気がない時は、好きな事をしていたらそれが不思議と活きたりしてるんだ。寄り道も好きだし、軽いノリで今までとは全然違うことをするのも悪くないと思っている。

別に立ち止まってるわけじゃない。

その時必要だからそうしてるだけだ。


惰性で続けて楽に手に入れられるものなんて脂肪くらいだ。


私はその脂肪を蓄えすぎたので、旦那さんに愛想をつかされないためにもかんばろうと思う。


その脂肪の原因になる美味しい母のおにぎりは、今日4つ用意されて3こ残した。


お母さん、美味しいごはんありがとう。でもどうやら、娘は胃が衰えているんだわ。若いけど、10代程の無限の胃ではいられない。


これから私は母になる。あなたのようになれるだろうかと、いつも思っている。料理は、しばらく練習だ。


今私が手に入れたもの全て、あなたが自由に生かしてくれたおかげだと思っている。


あと数ヶ月で産まれる娘に、私はどう映るのかが不安だけど、頑張ってみます。


立派なかーちゃんとかわからないけど、これなんだよねえお母さんは。と思ってもらえるものだけは見せたい。